最近、米FTC(Federal Trade Commission: 連邦取引委員会)がビッグテックと呼ばれる巨大IT企業を相手に訴訟を起こしている話をよく耳にしませんか? 例えば、FTCは米Microsoftによる米ゲーム大手Activision Blizzard買収に対して仮差し止めを求めていましたが、7月中旬に連邦地裁はこれを棄却。判決を不服としたFTCは控訴したものの、これも控訴裁判所により却下され、同月下旬にFTCは訴えを取り下げました。しかし、並行してFTCと司法省は、ビッグテックを念頭にM&Aを厳格に審査する新たな指針案を発表しており、今後も巨大IT企業に厳しい姿勢で臨むことが予想されます。
ところで、前回の民主党政権時、オバマ元大統領はシリコンバレーに対して友好的な姿勢で知られてきました。一方バイデン大統領は、FTC委員長に反トラスト法を専門とする法学者であり、ビッグテックに対する非常に厳しい姿勢で知られるカーン氏を起用。彼女が32歳という若さでの大抜擢ということもあり、政権の肝いり人事として大きな注目を集めました。そして、カーン氏の指揮下でFTCはMetaや先述のMicrosoftといった巨大IT企業に対し、続々とM&A関係の訴訟を起こしています。当時の政権で副大統領を務めていたバイデン氏が、今なぜ巨大IT企業に対する攻勢を強めているのでしょうか?その理由を、トランプ政権の誕生とSNS、巨大IT企業の社会的影響力拡大がもたらす課題、そして新型コロナウイルスの影響から読み解いていきたいと思います。
2016年以降の米国政治とソーシャルメディア―トランプ政権誕生前夜から、2021年連邦議会襲撃事件の発生まで
2016年11月8日、アメリカ合衆国大統領選挙。多くの世論調査の予想を覆す共和党・トランプ氏の勝利は、米国内のみならず、世界各国に衝撃を与えました。マスメディアを中心に、自身に批判的なメディアを“フェイクニュース”と呼んで非難し、Twitterを駆使して主張を繰り広げていったトランプ氏の手法は、ユーザーの好みに応じたコンテンツが提供されやすいアルゴリズムを持つSNSの性質と相まって、社会の分断をもたらしたと指摘されています。そして、2018年に発覚したケンブリッジ・アナリティカ事件に代表されるように、トランプ政権誕生前夜と言える2016年大統領選挙においては、SNSを通じた政治介入の存在が明らかになりました。2011年以降、「アラブの春」を通じて民主主義を加速させるツールとしての側面に光が当てられてきたSNSは、たった5年でその真逆の側面も見せるようになっていったのです。
こうした中、FacebookやTwitterなどの大手ソーシャルメディアは、特に保守派の過激な投稿への対策を中心に、コンテンツモデレーションに注力するようになっていきます。この動きに反発する形で、2018年には言論規制をしないことを謳うSNSのParlerが誕生し、多くの保守派ユーザーがTwitterから流入しました。
そして迎えた2020年大統領選挙。富と権力の集中解消を掲げた民主党のバイデン氏が当選し、翌2021年1月6日、連邦議会議事堂では彼の次期大統領就任に向けた手続がなされようとしていました。同日、ホワイトハウスの近くでは、選挙不正を訴えるトランプ氏の支持者による集会が開催されており、途中からトランプ氏本人も登場して演説を開始。そして、トランプ氏の演説に煽動された支持者らは、手続を阻止しようと議事堂に向かって行進し、ついに議事堂を襲撃・占拠。その様子が多くのSNSにおいてリアルタイムで拡散されました。この事態を重く見たFacebookとTwitterはトランプ氏の個人アカウントを凍結。Parlerについては、Googleと Appleがそれぞれ自社のアプリストアで凍結・削除し、Amazonもホスティングサービスを停止しました。自身の大統領就任時に、テクノロジーが民主主義を揺るがす大事件を目の当たりにしたバイデン氏が、こうした事態への対応の必要性について認識を強めたことは想像に難くありません。
ビッグテックの社会的影響力拡大がもたらす問題―コンテンツモデレーションが内包する困難と、市場独占によるイノベーション阻害
このように、特に2016年大統領選挙以降、米国政治とソーシャルメディアは切っても切り離せない関係であることが顕在化してきました。オンライン空間で先鋭化した社会の分断が、民主主義の象徴である議会に対するリアルな攻撃へと行き着いてしまったというショッキングな事件は、プラットフォーマーによるコンテンツモデレーションの不十分さへの批判を高めることにもつながりました。ところで、コンテンツモデレーションについて突き詰めて考えたとき、一企業が言論空間をコントロールするということは、どのように正当化されるのでしょうか?例えば、各SNSでアカウント凍結のポリシーは公表されているものの、個別具体的な判断は誰がどのように行うのか。投稿削除とアカウント凍結のボーダーラインをどう判断するのか。こうした点について企業とユーザーの相互信頼に基づく合意がなければ、コンテンツモデレーションは実質的な意味を持たないものになってしまうでしょう。
また、言論空間としての機能を持たないビッグテックも含め、経済学的な観点からは特定の企業の市場支配力が強まり、独占・寡占状態になることは、新興企業の参入を困難にし、イノベーションを阻害することにも繋がります。例えば、ビッグテックのお膝元である米カリフォルニア州では、今年1月よりCCPA(California Consumer Privacy Act: カリフォルニア州プライバシー法)を改正したCPRA (California Privacy Rights Act: カリフォルニア州プライバシー権法)が施行されました。CCPAに引き続き、同法は消費者保護の観点から、個人情報に関して事業者に強い責務を課す内容となっています。こうした動きは、テック企業の成長を促進したいはずの同州の思惑と一見矛盾するように思えますが、例えば改正法であるCPRAにおいて、対象となる個人情報の件数が引き上げられていることからも、小規模事業者に配慮しようという意図が推察されます。同法は消費者保護目的の側面が強いものの、同時にイノベーションを生み出す原動力となる若い芽を摘み取ってしまうことがないように公正な競争環境を維持しようという同州の気概も感じられるところです。
コロナ禍がもたらしたムード―「一人勝ち」のビッグテックに対する反感と、イノベーションへの期待感
最後に、バイデン政権のこうした姿勢を後押ししていると思われる国民感情について、新型コロナウイルスがもたらした影響の観点から考えてみましょう。感染拡大防止のための政策としてロックダウンが行われた米国では、それに伴う経済活動の停滞や失業率の増加といった問題が浮上しました。2021年以降の米国経済は回復基調にあり、現在も概ねその傾向が続いているところではありますが、筆者が大都市を歩いていても空き店舗が目立つ状況は変わらず、一度社会を覆った停滞ムードは未だに残っていると実感しています。
そのような中、巣ごもり生活やリモートワークでの需要から大幅に収益を上げたのが、コロナ禍以前から世界全体での社会的影響力を強めていたビッグテック各社でした。多くの人々が大変な思いをしている中で独走状態となってきた巨大IT企業に対して、負の感情を抱く国民は少なくなかったでしょう。
加えて、社会の停滞は、解雇された労働者の増加、真に必要なサービスへの消費者の審美眼、そして閉塞感打破への期待、といった観点から、実はイノベーションを活性化させ、新しいサービスがユーザーに受け入れられやすい土壌をもたらしてもいます。例えば、モバイル決済サービスのVenmo、配車サービスのUberといった、米国での生活に今や不可欠となったサービスを提供する企業は、2008年のリーマンショック後にベンチャーから急成長を遂げました。このように、巨大IT企業に対する反発心だけでなく、イノベーションへの期待感といった大衆感情も、バイデン政権の施策方針の重要な要因となっていると考えられます。
以下、EISの考察です。
- 前回の民主党政権時から方針転換し、バイデン政権がビッグテックに厳しい姿勢を取っているのは、富と権力の集中解消という従来からの基本理念に加え、SNSが民主主義に与える負の側面への対処の必要性が顕在化してきたため。そして、新型コロナの影響で社会全体に停滞ムードが漂う中、巨大IT企業が「一人勝ち」状態になってきたことへの大衆の不満も、こうした政権の方針への追い風となっている。
- 今後、事業分割や法人税引上げ等、ビッグテックの力を削ぐ政策が取られた場合、市場の独占・寡占状態が解消され、スタートアップや中小企業によるイノベーションが促進される。加えて、先述のように新型コロナがもたらした停滞ムードが未だ残る現在の社会状況は、その閉塞感打破への期待感から、新たなビジネスが受け入れられやすい土壌でもある。その結果、市場競争が活性化し、消費者はより良いサービスを享受することができる。
- 他方、MetaやMicrosoftの事例に見られるように、FTCはビッグテックを相手取ったM&A差し止め訴訟での負けが続いている状況。米政府がビッグテックの市場支配力を弱めることに失敗した場合、企業側の力が過大になり、消費者に不利なサービスが提供されることになる。X(旧Twitter)からの「移住先」を見つけられないユーザー達の事例に見られるように、既に生活に根を張っているサービスは、例え改悪されても、消費者が当該サービスから抜け出すのは困難であるケースが多い。